Do you wanna RIDE with me?

 年に一度だけ娘と滑る。手前に15kg。今年は1人増えて背中にもう10kg。これは幸せのオモミ。でも、そうそう毎日一緒には滑ってられねー。子供と一緒に楽しく…なんて今のところまっぴらごめんだぜー。いつか一緒に滑ろうと言う日がくるのか。めんどくせー。めんどくせーぜ。でも、そう言われるまでは、今より下手になるわけには、絶対にいかない。なら、滑り続けないと……だね。いつの日か来るその時をオモイ。

Google Web Font

Google Noto Fonts

GoogleがクラウドでWebフォントを配信していましたが、日本語Webフォントは重いイメージがあったので敬遠していました。しかし、さほどそうでも無さそうなので、サイトのフォントを変えてみました。以下覚書として。

設定は非常に簡単。使用したフォントは「Noto Sans Japanese」。「Noto Sans Japanese」は、AdobeとGoogleが共同開発したフォントです。Noto Sans CJK JPと言う名でダウンロードも出来ます。設定方法は、CSSでWebフォントを読み込みCSSで設定したい箇所のfont-familyを「Noto Sans Japanese」に指定しただけです。

CSSかHTMLに挿入

<style>
  @import url(http://fonts.googleapis.com/earlyaccess/notosansjapanese.css);
</style>

CSSでfont-familyを指定

<style>
body *{
  font-family: 'Noto Sans Japanese', sans-serif;
}
</style>

 

懸念していた重さについてですが、更新し1回目だけいつもより遅く表示。その後はキャッシュを読み込んでいると思うので、いつも道理の表示に戻りました。スマートフォン(iphone6 plusにて)での表示も同じく1回目だけ遅く表示。その後は通常道理の表示スピード。恐らく、閲覧者が他のサイトで同じWebフォントを既にキャッシュしていたら、読み込みも軽減されると思われます。

 

「Noto Sans Japanese」はフォントウェイトも幾つか用意されているので、必要に応じて太さを変えてみるのもよいかもです。

<style>
h1{
  font-family: 'Noto Sans Japanese', sans-serif;
  font-weight: 900;
}
</style>

トアル1月ノ出来事

1月の中旬ごろ急にチャオでピステンの頭やってるジュンジから電話が来て、チャオ変えたいからパークプロデュースやって欲しい、急で悪いけど、3月のスプリングシーズンまでに間に合わせたい。

本当に急だなあと、しかもなんで俺に、疑問の方が大きかったよ。だけど、総合的に俺なんだって。会議でそう言うことになったんだと。チャオへは、悪い事をしにしか、ここ最近は通ってなかったはずなんだけど、そう言われると頭が上がらない。

諸々事情は聞いたが、経営母体が変わっていたり、財務的な問題があったり、前任プロデューサーとの契約の話だったり…、しかし、率直なところ、御嶽の噴火が全てにつうじたものだと感じた。

それで今、彼らはすごくがんばらなきゃいけない局面に立たされているのだと同時に感じた。だから、ほかっておけないよね。男の頼みは断れないよ。

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guruguru

SNOWBOARDに出会ったから山を登るようになった。写真を撮るようになった。沢山の人と出会うことが出来た。感謝を覚えた。家族の絆が深まった。スケートとサーフィンを始めた。怪我が増えた。自分と向き合う時間が長くなった。お陰で終わらない自分との戦いの日々が続く羽目になった。疲れるぜー。

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ゲンジョウハアク

IMG_3271.JPG
忙しさを理由に、会社を理由に、熱い想いを忘れちゃいないか?ダサくなっちゃいないか?車で眠る面倒くさくて寒くて孤独な生活から逃げてはいないか?自問自答は自由だ。現状把握。

明日死ヌカノヨウニ生キル

”明日死ぬかのように生きろ。”この言葉に出会ったとき、生き方がとてもシンプルになった。これはマハトマ•ガンジーの言葉の”Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever .(明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。)”から、とてもインプレッションの強かった前文を心に秘めたいと思った言葉。

受け止め方は各々、タイミングや生き方で様々なのだろうけど、自身の場合は、物事の基準を、「明日、死ぬとして」と付け加えて捉えると、執着したくなる部分と、どうでも良い部分がハッキリとする事に気づいた。だから、考え方がとてもシンプルになり、エネルギッシュにもなれる。

明日、死ぬから自暴自棄に乱暴で無責任な判断をするわけではなく、あくまでも、そこには未来を予測して、今日から明日へと繋がる要素は含むものの、今を大切に出来る、と言うか、今を大切にしたいからこそ、無駄な判断をしなくなるような、そんな期待を感じてしまう。

死ぬ気でやれば何でもできる。とは近いけれども、それは、目的に向かう姿勢の事で、今を大切に生きたい場合、ことろどころでの決断に無意味な決断をしたくない。

自身の場合、特に、利己的な判断からは少し離れ、身近で大切な人を踏まえた、”キレイ”な感じの決断を得られそう。それは、自己満足にも近い幸福感もある。大切な人の幸せは、案外、自分の幸せよりも、より、幸福度が高いのかもしれないね。

死に様のことを考えることはナンセンスなのかもしれないけど、死ぬ時はキレイに逝きたい。俺はそう。残された者に後ろ指を刺されて死に恥を晒すよりは、惜しまれたいとは思う。出来れば、その人の心の何処かに残りさえすれば、まぁ、生きてるのと同等なのかも。

そういう意味では偽善でも理にかなっている気がする。

しばらくはこの言葉をデフォルトの設定にしたいと思う。